菌塚によせて





故中沢亮治先生 
農化木曜会の歌

                    
片桐 英郎  京都大学 名誉教授
微生物の限りない発展を祈って  無窮者菌学 

菌塚が開眼された喜びにひたって   萬里無片雲  

の拙書を捧げます
坂口謹一郎  日本学士院会員
菌塚の建立をたたえて

これのよにゆかしきものはこの君の
 四恩のほかの菌恩のおしえ
目にみえぬちいさきいのちいとほしみ
 み寺にのこすとわのいしぶみ
菌塚はとわにつたえめこの君の
 菌いとほしむたうときみこころ

               謹
有馬啓  日本農芸化学会会長 (財)醗酵工業協会会長  
菌塚建立に寄せて

 笠坊さんが菌塚を建立されると云ふ。眼りなく尊い優しいお心と思う。菌塚と云うと、私にはやはり、猫塚とか犬塚とか、針塚とかが思い出される。これは一応死んだものへの、又用をつとめ果したものへの、今度の場合には菌への深い感恩、なつかしみ、又供養のお心を表わされるものであると思う。
 坂口謹一郎先生が、十年位前、日本で国際発酵会議が行なわれたときの会頭講演で、昔のインド人は飲料水を、その中にいる小さい生命を殺すことを好まず、水を火で熱することをせずに、之を布か紙で濾して飲んだと言うことを話され、深く感銘したことがあった。
 昔のインド人は、永年家畜として飼育した牛等を食肉として殺すのに深い罪悪感にさいなまれ、誠に相すまない、牛よ今度は人間に生れて来ておくれ、自分は牛に生れ変るからと心の底から思ったのが、輪廻の思想の源であると云う。水を布で濾すことも、インド文明の持っこの限りなく高い、やさしい気持であると思う。
笠坊さんは永年菌の生産する酵素工業に尽くされ、吾国及び世界の酵素工業に大きな貢献をされた方である。
 そして今度、この世の生きものの中で、目にも見えず、一番小さい、一番弱いもので、人間のために用を果し死んで行って呉れたものへの限りなく深い心持をこめて、菌塚を建てられると云う。
 立派な聖職者のもつあの深い優しさ、たとえば、この間来日されたローマ法王が、テレビで九十何才かの車椅子に乗った、その一生を臼本のアリの街で貧民の救済に捧げたゼノ修道士の、唯涙と共にパヽパヽと云うこの老人の頭を何回もなぜられたときのあの深い優しさには、日本人の多くの方々又白分も思わず目頭を熱くしたが、今最も小さく弱くその死なぞ誰もかまって呉れない菌のための菌塚を建てられると云う。かの聖職者の優しさにも比すべきものではないだろうか。
 微生物学の歴史も約二百年位。この間特に最近五十年の進歩は誠に目覚しいものがあった。
 人生は、しばしぱ一つの大きなドラマであり、又大きな劇を見ていることにたとえられる。私のように昭和十七年頃から、東大で坂口謹一郎先生の御膝下に微生物学研究にたずさわって来たものにとっては、この四十年間の世界及び日本の微生物学とその応用、即ち発解学の進歩発展は、誠にこの上なく劇的なドラマであった。こんな素晴らしく面白いドラマを見て来られた自分は真に辛福幸運であったので、たとへ今直にでも、十二分の深い満足をもって、この劇場を去ることに何の悔も残さないであろう。
 誠に、私共の見ている前で、良菌の発見、その生産物による無数の世界的発明がなされたのであった。
 私共の研究室からも多くの良菌が発見され、之を用いての新発明と呼ぶことを許されるであろうことも多く行なわれた。
 その頃は、白分達の力で之等の発明が出来たのだと多少意気軒昂たる気持になったものであったが、しかし今静かに振り返えって見ると、菌の方では、数十億年も前からその生産物を造っていて、我々が、唯それを発見させていただいたに過ぎないのであったことが良く解る。
 世界的な発見をした人達も、この点については、倣いて反対もしないであらう。
 而も、菌は今でも、数十憶年前からの生々流転、動物、植物よりもはるかに早く、且つ頻繁に変異進化のサイクルを続けていて、今後も永遠に我々微生物学研究者に、人類の福祉に役立つ大きな発見のよろこびとめぐみを与えつづけて行くことは確かであろう。思えば限り無く有難く玄妙不思議である。
 誠に我々凡人は、どんなに聖賢の方々が言って聞かせて下さっても、又無限にして絶妙なる自然が目の前に如何に顕著な現象として見せて呉れても、仏、神の御慈悲は解らず、又決して解ろうともしないのであるが、笠坊さんは菌塚を建てて、日本又は世界の微生物学とその応用にたずさわるものに菌の無限の慈悲を解らせようとして下さっているのではないだろうか。又この笠坊さんの考えていられる自然の慈悲心及び無眼の深さを悟ることこそ、発酵の分野に於て良い仕事をする殆ど唯一のと迄言へる一つの秘訣はあるまいか。
 即ち之からの若い研究者諸君は、徒らに自己の才能の不充分を歎くことなく、無限の自然・菌に頼ってむつかしい創造性に満ちた研究目的を設定して完全としてリスクを犯し、しかも深く安心して、チャレンジしていただき度い。そのようにして絶対に大丈夫なのである。
 菌塚が出来上ったら、全国の大学の発酵方面の研究室で、その写真を一枚ずついただき、それを壁に掲げ、先生方はうら若き学生諸君と、琉珀の酒を盃に滴たし、くみ交しつつ、菌塚のことを楽しく、ロマンに満ちて話し合われたら、又来訪する外人学者にあやしげな英語で説明されたら、どんなに良いだろうなどと考えてしまうのである。


今堀和友  東京大学医学部教授
菌と仏心

 禅問答に「犬の子に仏心ありや」というのがあると聞いたことがある。今回の笠坊さんの菌塚建立のお報らせを聞いてまず感じたことは、笠坊さんは「菌に仏心ありや」の問題につき、悟りを開かれたということであった。ノーベルがノーベル賞を設定したのは、ダイナマイトのもたらした罪に対するつぐないの気持からであったという。しかし今回の菌塚建立についての笠坊さんのお心は、単に会杜の利益のため犠牲となった菌に対するつぐないだけではないと思う。むしろ菌に対する、こまやかで美しい愛情の結晶がこの菌塚であると思うのである。
 研究用に生物を殺す際、人間に遠いものほど抵抗がないようである。ましてや、曽ての、「ばい菌」の名が象徴するように、人類から忌み嫌われたものを、いつくしむということは常人のできることではない。
私自身も、温泉の泉源にひそかに隠遁していた好温菌を引きずり出して、大量に殺しているし、最近ではコリシンという毒素蛋白質で大量の大腸菌を犠牲にしている。それだけに、笠坊さんの心の深さに強く打たれるものである。(一九八一年三月)
飯塚廣  前東京大学教授 国際微生物保存会議 (ICCC)会長
微生物の恩

 近江草津の郊外の小さな森の中に菌(くさびら)神社という無人の杜がある。くさびらとは、古くはキノコのなかでも主としてかさの裏側にひだのあるものを意味したようであるが、現代風にはカビやキノコつまり微生物の仲問の総称とみなしてもよいかと思われる。白然をおそれうやまい、自然に感謝する心は、洋の東西を問わず人問古来の基本的な心情であったのであろう。
 人間はその生活を豊かにするために微生物を活用し、さらに将来も一層その恩恵に浴したいと心がけていることは皆様方の御存知の通りである。最近は遺伝子組み換えなどの実験手法が開発され、生物のクローニングつまり複製とでも申すべきものを作り出すことも可能になってきた。これらの研究も微生物を素材としてはじめて成功しのであった。微生物そのものはもちろんのこと、動物や植物のもつ遺伝情報を、近代工業のシステムにのる生物生産に橋渡しするための担い手としても、微生物は新しい恩恵をもたらしてくれることであろう。そしてこのような時代を迎えると、自然系から新しい微生物を分離入手することが、新しい遺伝情報資源の開発として改めて評価されてくる。
 本年七月、第四回国際微生物保存会議(ICCC-W)が、チェコスロヴァキアの古都ブルノオで開催される。このブルノオは十九世紀のオーストリアハンガリー帝国時代に、メンデルが遣伝の実験を行ったところで、その僧院の庭は今でもピルゼンビール醸造場の裏庭と境を共にしている。きて、この会議は一九六三年に坂口先生の御発議により、日本政府のユネスコ提案がもとになって企画された国際作業の一環である。微生物を世界共通の生きた文化財として研究し、その恩恵に与ろうというものである。すでに第一回一九六八年東京、第二回一九七三年サンパウロ、第三回一九七六年ボンベイと開かれている。
 このような由縁と世界情勢のなかで、このたび洛北の地、修学院離宮にほど近い曼殊院門跡に「菌塚」が建立され、微生物に感謝の一端を捧げられるとのことである。誠に我が国にこそふさわしく意義の深いことと存じ、敬意を表する次第である。
(昭和五十六年三月彼岸に記す) 
奥貫一男  大阪大学名誉教授
菌学礼讃

 今も続いているかどうか知らないが、故中沢亮治先生の肝煎りで、毎月第三木曜日のタ刻、中之島中央公会堂の地下室で農化木曜会という楽しいあつまりがあった。五時すぎから識者のご高説を三十分ほど拝聴した後七時頃まで一杯酌んで歓談するというもので、主に京阪地区の農芸化学会会員があつまったのですが、出張などで大阪に立ち寄られた会員なら誰でも飛び入りで参加して旧交をあたためて下さいという自由なものでした。私も会員でしたから阪大理学部が中之島にあった頃はしばしば足を運んだものです。この会にあつまる人々はお酒の好きな方々なので酵母のご厄介になっているものですから、菌学礼讃には異議をさしはさまない人ぱかりでした。"もっと微生物の知識を活用して、資源の乏しい本邦を豊かにしなければならない。"という趣旨の歌を合唱して散会するのがならわしでした。
 この菌学礼讃の歌詞が作られた頃か、その後のことかたしかではないが、ペニシリンの生産性を高めるために、アオカビに紫外線やX線など照射して人為的に突然変異をおこして、そのなかから、われわれの目的に副う菌株を選び出す技法が人の手に把握された。これによって、人は必要な菌株を思うように入手できる希望をもてるようになった。事実、この希望は抗生物質の生産をはじめ、いろいろな発解工業で満されてきた。微生物の知識を活用して付加価値の高い酵素や医薬品のみならず、得難い工業原料の生産まで行なっているのであるから、戦前の発酵工業のレベルとは桁ちがいになっ
た。さらに、微生物の繁殖能を利用した遺伝子工学が実現された暁には微生物は人にとって神様、仏様となるだろう。しかしながら、このために犠牲になる微生物の生命の夥しさを考えると側隠の情に動かされるから、その供養をするのは人の道であろう。この際菌塚建立はグツドタイミングといえよう。
小田雅夫     元大阪大学教授 近畿大学名誉京授
菌塚に寄せて

 微生物には病原菌と応用菌との別がある。前者は勿論人類にとって有害であるが、後者は我々人類にとって有用な種類が多く恩恵を受けている種類が多い。そして後者には細菌、酵母菌、糸状菌(かび)などの種類があり、夫々の種類によって我々の日常生活で飲食糧品の生産に寄与している。
 卑近な例として酒類、醤油、味噌、食酢などの生産に、また漬物の熟成に与っている。更にアルコール、アセトン、ブタノールなど有機溶剤の生産に利用されているものがある。アルコールは飛行機がプロペラーで運行された時代にガソリンの不足を補い、又、ブタノールはブタヂエンの生産原料としてアンチノッキングに役立った。其の後ペニシリン、ストレプトマイシンなど抗生物質の開発に始まり、其の後抗生物質は続々と新しい種類が開発されて行き、医療上貢献している。そしてヂアスターゼその他有用な酵素類を前記菌類から分離する酵素工業も医療上その他人類に寄与していることが大である。又、土壊中で単一な原子から有用な化合物を合成し、又、逆に繊維素その他高級な有機化合物を分解して農作物の発育に寄与している種類もある。更に稍々高級な菌類には担子菌類(きのこ)の種類があり、これにも有毒な種類もあるが、松茸、椎茸など吾々の食膳を賑わす種類がある。
 畏友笠坊武夫氏が奇特な菩提心の下に菌塚を建立されるに当り冊子を作成するので余に一文を寄せる様依頼されたので禿筆にも拘わらず拙文を綴りその責を果す次第である。
岡田弘輔     大阪大学工学部醗酵工学科教授
懺悔

 菌が声を出さないという簡単な事実から、私達は罪の意識を持たずにどれ程の菌の個体を殺生して来たことでしょう。抗血清を作るために僅か二匹の家兎を採血致死させた学生は、二度と抗血清を作る実験を拒否して、専ら微研や製薬会社に抗血清の製造をお願いする仕儀にたち至っています。にもかかわらず数グラム乃至数キログラムの菌体(この中には全地球人口より遙かに多い個体数があります)を破砕して細胞抽出液を作る実験には良心の呵責なしに嬉々として従事しています。これは偏えに菌は声を出さないし、断末魔の痙攣も起さずただ素直に死んで呉れるという菌の美徳によるものです。つまり家兎の死では私達は死と対面しますが、菌ではその対面手続が不要だという私達人間側の勝手な事情によるものであります。
 因果なことに、私達は菌の育種と称して、菌が自然界に生棲するのに必要な能力を無視して人間が利用したい能力だけを伸した株を創り出して来たことです。このように家畜化された菌は人工の培地と生存競走のない環境以外では棲めず、自然界への脱出は野垂死の末路があるだけです。この路線の延長に遺伝子工学があり、インシュリンやインターフェロンの生産の重荷まで背負わせようとしています。
 更に因果なことは、このように書いて来ても私には全然殺菌の罪の意識が湧いて来ないことであります。今度笠坊さんが曼殊院に菌塚が建立され菌類の菩提が弔らわれると漏れうけたまはり、私はまだ笠坊さん程は殺していないという安心と、殺した菌の数にふさわしい仕事をしたいという菩提心と、これからも大いに菌を殺して行く自分の業の深さを感じています。
大嶋泰冶    大阪大学工学部醗酵工学科教授
菌塚建立によせて

 黴菌という言葉がある。何という独善的な言葉であろう。人間が微生物を敵視し、闘うことのみに専念していた時代の名残りである。時代と共に人智は広がり、さまざまの驚異をもたらした。宇宙の神秘さもさることながら、われわれの住む地球の多様な生命の精緻な構造と相互関係の巧妙さに驚く。その中で、エネルギーと物質輪廻に働く微生物の力は巨大である。黴菌ではない。この地球を清浄に保ち、生命再生の素地を作る原動力である。この抱擁の中に人生の喜怒哀楽全てが含まれている。この巨大な微生物を敵視し、やがて勝利したと考えるようになった。まことに思い上がりである。
 しかし、人間と微生物は、相互の認識以前から交歓の道を持っていた。醸造である。やがてここにも人智は展開し、その生命力を、さまざまな形で生産活動に応用する時代となった。人間の一方的働きかけにより、微生物は本来の生態を変えられ、大いに困惑したであろう。しかし、意識を持つものと、持たないものの差はあれ、仏の目から見れば、いずれも同じ、救いを求める衆生である。
-南無阿弥陀仏-

後藤実   武田薬品工業(株)中央研究所 副所長 兼 生薬研究所所長
曼殊院の花 菌塚建立に奇せて

「洛北白川通りから比叡山に向って坂道を登りつめると、奥ゆかしく風格のある山門に行きあわせる。文化財で近時頓に世人の注目を浴びている曼殊院である。この寺がまた京の花の名所であることは案外知られていない。
 珍しい花、絢爛と咲く花、密に咲く花、一口に花といってもその咲き方はいろいろであり、訪れる人の心、四季によっての風情、楽しみ方にも違いがあろう。ともあれ曼殊院では、いろいろの花が参拝者の心を和ませ、目を楽しませてくれる。
 花は各所に見ることができる。しかし曼殊院でしか見られない花、曼殊院にあるが故により印象深い花、これらの花はまたこの由緒ある門跡寺参拝の意義を一層高めてくれる。まさに古都に残された自然の花を楽しむことのできる数少ない場所の一つであろう。
 曼殊院北側境円の桜、ソメイヨシノは、樹勢正に最盛期にあり、満開時の美しさは一入である。もともと地味が肥えているところに、公害と称せられるものは一切受けないうえ、毎年丹念に手入が行なわれ年々花の美しさを増している。」
 古寺巡礼”曼殊院”発刊に当り、淡交社月報に寄せた拙文の一節をそのまま引用した。
 花は自分の美しさを自ら誇ることはしない。とりわけ曼殊院の花は静寂なたたずまいの中でひそかに訪れる人の心に応えてくれる。花はその美しさで人の心を奮ませ楽しませ、そして自ら散って行く。勤めを果し翌年、さらに美しい花を咲かせるために。物言わぬ微生物は自分の限りない永遠の功績を誇ることなく静かに消えていく、さらに勝れた次の世代をこの世に残して。美しい花に囲まれ菌塚が建立されることは何かの縁によるものであろうが、それが曼殊院の境内、しかも花の中にあるが故に一層意義深いものが感ぜられ、これ弔う人々に敬意を表する。物言わぬ花、菌塚そして永遠の自然に改めて感謝の意を捧げる次第である。

小巻利章       日本澱粉学会副会長
菌塚によせて

菌塚の建立という御発願は、なにかといえば権利と白我の主張のみが目だち、感謝の念が失われつつある当今の世相のなかで、まことに美しく、うるわしい快挙と心から敬服しています。
 生物体が生きているうえで行なわれている化学反応は、自然界に広く存在する簡単な物質を原料とし、生物が必要とする複雑な有機分子に作りかえる反応であり、しかもその化学反応は高度にシステム化され、自動制御され、必要に応じて行なわれる反応であるといえるが、植物の生命力を利用して、農作物を生産するのが農業であり、動物の生命力を利用して、価値低い有機物から、牛肉や鶏卵のような美味で価値高いものにつくりかえる生化学反応利用産業が畜産業であるという表現ができると思うが、微生物利用を含めて生物の生命現象を利用するこれらの産業の技術の特長は、生物の選択、育種、改良と栽培、飼育、養殖、培養などの生物の生育環境をより良くすることで、品質と収量の両面において著しい改良をもたらすことが可能な、限り無い楽しみに満ちた仕事であると思う。とくに微生物の場合は高等動植物に比較してはるかに人為的にコントロールし易い点でより愛すべき存在である。
 微生物にとっては極めて迷惑な改質や、環境を余儀無くさせられているのであろうけれども、我々人類にとってはまことにありがたいことである。
 同好の士が菌塚のもとに集い、一献かたむけるのもまた大恩ある菌への供養ではなかろうかと考えるのは、げすの勘繰りだろうか。
七字三郎     元工業技術院 微生物工業技術研究所所長
菌塚建立讃辞

 私が、アルコール発酵の研究を行っていた戦後間もない頃、発酵技術管理の重要な一方法として生態観察を強調したことがある。酵母を例としたその経過に沿う正常・異状の把握には、研究、技術ともに顕微鏡に依存するものが多い。ある実験中に偶々メチレンブリュー染色プレパラートが、僅かの過指圧によって細胞が崩壊して無惨にも死滅するのを目撃したハプニングが極めて印象深く残っている。
 このような感傷は些事としても、広く研究・応用の場を展望する時に、巨多数のいわば天文学的な微生物細胞が培養されかつ用済みの上で無感覚の内に破棄・死滅されていることを省みねばならない。世に針供養に倣い鰻供養、河豚供養など生物供養のあることも聞いている。微生物と関係する世界でも、せめて研究従事の仲間が夫々の場と機において感謝供養の日をおいたらということで、学会の二、三友人に話しかけたことも覚えている。しかし互に多忙に紛れて積極的な動きも見ずに過ぎて了った。今にしてはせめて自己周辺のみででもと悔んでいる。この程、生涯を生体触媒の利用開発に貢献された笠坊武夫氏が、菌塚を建立されるとの企図を承った。まさに氏にしてのご発念と成就力に依るものと敬服致している。
 「温故知新」とは学する者の態度への銘言とされている。この菌塚が古き功を顧み尊び感謝するの基石として、さらに無限の可能性を秘める微生物開拓に精進するものへの貴い「指標」ともなることを祈念し、崇高な氏のご企図に重ねて敬意を表する次第である。
 同時に、発酵・微生物工学応用へと半世紀に及ぶ私乍らの微生物への思慕と謝恩の機に恵まれたことを幸いとし深く感謝申し上げている。
清水祥一    名古屋大学 農学部 教授
菌塚への報告

私が微生物を研究対象として取扱うようになったのは、京都大学工学部の高田亮平教授(昭和五十三年五月十一日御永眠)の研究室へ大学院特別研究生として入れていただいて三年あまり経った昭和二十六年以来で、ちょうど三十年になります。このような時期に微生物供養の碑を建立していただけるとお聞きし、誠に感無量です。エレモテシウム・アシュビの培養物中にFADの存在を見出し、その工業生産を目指す研究に着手したこと、人の糞便からビタミンB2分解菌を分離したことなど、当時の感激がよみがえってきます。その後、メタン醗酵菌、光合成菌、放線菌、窒素固定菌、乳酸菌、大腸菌、炭化水素資化性菌、メタノール資化性菌、セルロース分解菌など多くの微生物とおつきあいしてきました。これからも微生物のもつ無限ともいえる潜在能力を発掘し、人類に役立たせる研究を続けたいと思います。
鈴木周一     東京工業大学 資源化学研究所 教授
エネルギー資源と微生物

 石炭、石油、天然ガスなどの有限資源に代るエネルギー資源開発の重要性が叫ばれて久しいが、いまや生態系における再生可能資源利用のトータルシステムを確立することが時代の要請となってきた。この再生可能資源は枯渇することのない無限資源、量的に莫大な資源、環境的にクリーンな資源である。このような特長を有する再生可能資源の利用と関連して微生物の果たす役割がにわかに脚光を浴びてきた。とくに太陽エネルギーと並んでもっとも有望なエネルギー資源と目されているバイオマスの変換、貯蔵、再生などの基本プロセスは微生物の機能および作用を用いることによってきわめて効果的にかつ円滑に進行する。
 この壮大な地球生態系は太陽エネルギーを駆動力として光合成によってたえず循環している。光合成によって生成した有機物はほとんどが微生物によって分解され、最終的には炭酸ガスと水とになって大気圏、水圏に戻ることである。このような生態系におけるエネルギーの流れは微生物を利用したエネルギーサイクルが可能であることを示唆している。事実微生物の機能および作用を利用することによって、実に多種多様なエネルギー変換が可能である。生態系を考慮しつつ、これら各種のエネルギー変換を有機的に組み合わせれば、微生物による壮大なエネルギーサイクルが形成されるであろう。
 このように微生物に学び、かつ微生物を利用することは現代の直面するエネルギー、資源問題への新しいアプローチの一つになるであろう。
鈴木繁男   日本澱粉学会会長 前農林水産省 食品総合研究所所長
菌塚建立と一つの回想

 菌塚建立計画のお話を聞いたのは、昭和五十五年十一月五日、ホテル阪神で開催された二国二郎先生のアルスベルグ・シヨック賞受賞記念パーティーの席であった。
 二国先生はすでに澱粉に関する世界的な賞であるザーレ・メダルを昭和五十年に受けられているが、昭和五十五年九月二十二日、シカゴ市でのアメリカ穀物化学者研究協会第六十五回年次大会で前記の賞を受けられた。この二つの賞は、澱粉科学に関して顕著な業積をあげた個人に贈られる世界的な賞である。二国先生の御研究については詳説するまでもないが、この栄誉はまた日本の澱粉に関する基礎的なまた開発的な研究を各方面の方々が積みあげて来た成果が高く評価されたものと、澱粉研究者の一人として心からお喜びしたい。
 この席に参集した方々のお顔を拝見して、とくに強く感ずることがあった。それは実に多彩な顔ぶれであった。大学、国公立、各種企業関連の研究機関の各位、調査関連、流通関係その他各方面にわたっていた。
 それらの方々が、大なり小なり何等かの関連で酵素のお世話になっているということである。筆者もその一人であるので、若干個人的な想い出も含めての記述をお許し願いたい。

 筆者が笠坊さんを識ったのは、澱粉滞貨問題にとりくんでいるときであった。昭和三十二年、政府が農産物価格安定法により買い上げた澱粉が丸ビルニ杯分となり、澱粉の新規用途開発が焦眉の急となった。この問題が酵素糖化法によるブドウ糖製造技術の発展により解決したことは、未だ記憶に新しいが、これは昭和三十四年、リゾープスの大量培養で得られたグルコアミラーゼの量産により、はじめて可能となったものである。
 日本の酵素工業は古い歴史があり、着実に各種利用面に対応する酵素剤を生産してきたが、この糖化工業の急速な進展が大きな刺戟になり、現在の微生物工業の発展につながったものと考えられる。

 糖化酵素の開発から、最近の第二世代の異性化糖は、果糖55%でショ糖と同一レベルで使用できるので今後の大飛躍を期待されているが、この異性化酵素の開発も、わが国の酵素関係研究者グループの大きな業績である。
 また現在は遺伝子工学が開花して、その新しい可能性は各方面からアプローチされて、とどまるところを知らない勢いである。すでに遺伝子工学を利用した有用酵素を効率よく生産する研究が、各方面で着手されている。
 これらの研究の際には、またまた各種の微生物をいじりまわすことになる。これまでの放射線処理などだけでなく、細胞の中にまで入りこんで、切ったりつないだり、微生物個体としては大変な操作が加えられるわけである。
 このように微生物には今後ますますお世話になり、新しい分野が開発されることになろう。食品関連産業は勿論、医薬、ファインケミカル、その他諸工業の新しい発展への寄与が期待される。微生物工業の今後は、ますます実り多いものと、関連各位の御活躍を願うものである。

 菌塚の建立について静かに語られた笠坊氏のお顔を拝見していて、これまで長い間酵素工業の進展に寄与され、その間に犠牲となった各種微生物に対する同氏の深い愛情をしみじみと感じた次第である。
 菌塚の建立はまことに意義深いものと考え、若干の回顧をまじえて、今回の御企画に心から敬意を表するものである。
(56・3・10) 

高原義昌    工業技術院 微生物工業技術研究所 所長
菌塚のおしえ

 小学校の頃、母から針供養の話を聞いたことがある。十二月八日にコンニャクや豆腐に針をさしてまつり、古針を集めて供養して流し、この日一日は針を紙に包んで裁縫をしないという。
 無生物に対する人間の心づかいに少なからぬとまどいを感じながらも、子供心に納得し感心したことがいまだに脳裏にファイルされており、長じて人や家畜などの供養に際し必ずこのことが思い出される。
 微生物を産業に利用するための技術開発を行うことをなりわいとして、三十年余を数えるようになった。その間、自身であげた成果は誠に取るに足りないものにすぎないが、研究のため使用した微生物は数えきれないほど多い。一方、「微生物に秘められた能力は無限であり、その能力を探索し利用を図ることが私共の使命である」とか、「遺伝子工学をはじめとするバイオテクノロジーは、革新的技術として人類に計り知れない恩恵をもたらすであろう」といったようなことを、真剣に考えもし言葉にも文字にも表わしてきた。しかし残念ながら、これまでに微生物と針供養との回路は閉じたことが無かったように思える。
 このたび、笠坊さんから「菌塚」建立の御計画をうかがい、その御尊志に心を打たれるとともに、長い間、微生物に対し無為にすごしてきたことを、改めて教えられた次第である。
高橋甫     東北大学農学部 教授
菌塚に合掌

 今から三十年程前、微生物酵素の研究をしていた当時は、微生物は酵素の入った袋であるという説に賛成で、その生物性について全く注意を向けませんでした。従って酵素抽出の材料に微生物菌体を用いることについても、全く罪の意識を持っていませんでした。
 しかし、其の後次第にその生物性について興味を持ちだして微生物を眺めるようになりました。最近細菌の運動についての研究が各方面で行われ、その概要を要約しますと、微生物の中でも一番下等とされる細菌ですら、ある種の物質の濃度勾配を知覚し、その信号をべん毛基部のモーターに伝え、べん毛を回転させてその物質の濃度の高い方に向って泳いだり、また濃度の薄い方に向って逃げたりするのだそうです。このように運動という一面だけから見ても、細菌を含む微生物は高度の生物性を備えていることを知りました。
 このような高度の生物性を傭えた微生物を研究のためとは言いながら、数知れぬ個体の命を奪った自分が空恐しくさえなります。このように多くの生命を犠牲にして、それが正当化されるだけの研究成果をあげたかと考えますと、心の痛みを覚えます。
 このたび長年にわたって酵素工業の発展に御尽力された笠坊氏の微生物供養の碑、菌塚の建設はまことに時宜を得た尊い御事業でここに心をこめて合掌いたします。
辻阪好夫   前大阪市立工業研究所 所長
菌塚建立に教わる

 「菌塚」建立についてのお話を承り、感動を覚えると共に、反省させられるところがあった。それは、私自身三十年に亘って微生物酵素の研究に従事し、文字通り微生物の恩恵によって生きてこられた人間でありながら、未だ、微生物に感謝し、その生命をいつくしむと云う心がけに至っていなかったことを自覚させられたからである。常々酵素資源としての微生物の優秀性を強調し、また人間の生活に及ぼす微生物の効用を説きながらも、微生物を命あるものとして真に理解していなかったことを反省させられた次第である。
 私はこの四月一日をもって三十年勤めた研究所を退職することになったが、微生物を研究の対象とする生活はこれからも続くものと思う。ただ今までと違って、微生物を弘と同じ生命を持った仲間として取り扱うようにしたいものだと考えている。

鶴大典     長崎大学 薬学部 教授
微生物と日本人研究者

"河三尺流れて水清む。"と言う。環境浄化における微生物の役割は今更あらためて述べるまでもない。そんなことも知らない子供の頃はバイ菌と言えば諸悪の根源のように誤解していたことを思い出すと何とも申訳ない気持になって来る。
 数年来、アメリカのある出版杜からの依瀬で微生物起源の蛋白質分解酵素について調査しているが、一九八〇年までにこの分野の主な研究として約四〇〇編の報告が発表されている(単に存在を指摘したものを除く)。そのうち一六〇編は日本人が我が国で研究した成果であった。何と全体の四割強にも相当する。その大部分は日本農芸化学会や日本醗酵工学会の欧文誌あるいは和文誌に発表されたものである。恐らく微生物起源アミラーゼに関する日本の研究の比率は更に大きく、七〇〜八〇%にも達するものと想像される。勿論これらの研究と結びついた微生物酵素の応用と開発は日本のお家芸の一つであることは当然である。それ程多くの日本人および日本人研究者が実生活においても、研究生活においても微生物をより所としているのが現状であり、また今後も変らないものと思われる。
 「菌塚」建立に寄せて微生物に対する過去の偏見をお詫ぴし、改めてお礼を述べる次第である。
照井尭造      大阪大学名誉教授
菌供養の心

五十年近くも菌を学び菌を扱って来た私であるが、菌塚の発想はついぞ浮ばなかった。
 菌塚の計画を承った時、お人柄に多年接している私には、仏心の貴い発露として、素直に受け容れられた。これに僅かばかり御助言が出来たことを嬉しく思っている。思えば笠坊さんと私を結びつけたたのも菌-バチルスの一株-であった。
 「いとちさきいのち」ながらも生命であり、この無数の生命を育てては殺しながら、有用酵素とくにアミラーゼの生産に人生を捧げられ、顧みて慈悲と謝恩の心から、この供養塚を思い立たれたのであろう。微生物の応用に携わる多数人士の共感を呼ぶ美挙であると思う。
 願主が一私人であることにも一種の清々しさを覚えるものである。加うるに斯学の泰斗、坂口謹一郎先生の題字御揮毫は錦上花を添えるものであり、この『ちさきいのち』をしぱしぱ和歌に詠まれた先生のお気持がそこに込められていると思う。
栃倉辰六郎    京都大学農学部教授
菌塚と謝恩

 京都修学院蔓殊院の霊地に、菌塚を建立して菌供養をなさるというお話をきき、まことに有難い限りである。微生物は学問の発展にこれまで偉大な貢献を果してきたし、また醗酵技術などを通じて人々の生活に計りしれない恩恵を与えてきた。微生物白体は、何時も自然と人工の試練を克服し、無数の犠牲を払いながらも生き残り、黙々と働き続けている。この度の菌塚建立により、微生物に対する謝恩の念を新たにするとともに、菌顕彰碑として永く保存したいものである。
外山信男  宮崎大学農学部応用微生物研究室 教授
微生物たちから

 われわれ微生物も、考えれば哀れなものです。不幸にして人間につかまったが最後、何千万、何億いや何兆もの仲間が、毎日のように火あぶりにされたり、蒸し焼きにされて非業の最後をとげております。
その上得体の知れない光を浴びせられたり、毒を飲まされて、生れもつかぬ身体にされ、むりやり働かされて、そのあげく恨みを呑んで殺されていつた仲間も多いのであります。こうして、人間に役だつ微生物として認められると、毎日御馳走が食べられますし、冷暖房完備の部屋も与えられます。しかし、それも束の問、一人前になると引き出されて、息も詰まるぱかりに空気を吹きつけられて働かされるのですから、たまったものではありません。われわれは自然界では、のびのびと楽しく働いて、実験室におけるよりも、はるかに能率良く仕事をしていますのに、人間は、わざわざ不自然な環境を作り出して、われわれを地獄の責め苦に会わせます。
 しかし、われわれの仲間にも人間に感謝している者もいます。土の中で何千年も一生懸命に働いていて、その功績が、ようやく人間に認められて、迫り来る食料不足や石油枯渇に対する救世主のようにあがめられている仲間がいます。お陰で、子孫がたいせつに育ててもらっていると大層喜んでいます。
 でも、われわれのほとんどは、人間を金持にしなかったので、情け容赦もなく抹殺されたのです。それでも、われわれは、まだ幸福だったのではないでしようか。最近全く奇妙な姿の仲間や発狂した仲間が見られるようになりました。そうした仲間は、われわれには、とても食えそうにない物を、むさぼるように食べて、変な物をたくさん排せつするのです。その連中に聞いて見ますと、いつのまにか身体が変になってしまったと嘆いていました。どうやら人間が手術をしたらしいです。
 われわれは人間につかまってしまったら最後、悲しい生涯を送ることに運命づけられているようです。
 こうして身の不運を、みんなで慰め合っておりましたところ、本当に嬉しいニュースが入りました。お陰様で皆成仏できます。菌塚を建てて下さる方の御多幸を、われわれ一同心からお祈りいたします。
(昭和56年3月22日)
二国次郎   江南女子短大学長  大阪大学名誉教授
謝恩

 畏友笠坊様が一生の事業の基となった微生物の供養の為、菌塚御建立のこと誠に御奇特なことと存じます。考えてみますと、私も大酒呑みですので、これら微生物の作ってくれた賜物をいただき、また時に酒粕など生菌を含めて食べてしまったのですから、大変なお蔭を蒙っている訳でございます。
その上、専門の澱粉の構造研究に缺かすことのできない酵素類の生産者としての御恩が加わるのでございます。
 一方、笠坊様には、私が大阪大学に勤めまして以来、仕事の上でも四十年のお付合、それに私の友人の遺子のことで一方ならぬお世話になっております。
 菌塚完成の折には、是非洛北の聖地に詣で、坂口先生の御名筆を拝見すると共に、施主と菌類の数々の御恩にお礼申上げたいと念じております。
長谷川武治  日本微生物株保存連盟会長
菌塚礼賛

 菌塚建立というお話を聞いた。私たちのように微生物と生涯を共にしてきたものにとって、まことに結構なお話である。明治以来、日本の菌学には百年以上の歴史がある。それも発展につぐ発展で、とうとう今日では、世界の微生物学界を指導するところまで成長した。人の一生は、その周囲に無数に存在する微生物との闘いといってもよいくらいである。その微生物を制御し、利用することで、人類はまた、計りしれない恩恵を受けてきた。
 人が微生物を扱うということは、いいかえれば、自然界から個々の微生物を隔離し、不自然な環境のなかで飼いならすことである。一言で飼いならすというが、いやしくも生命を持ち、それを保ちつづけようと努めている相手である。容易には人の意のままになってくれない。どうしても研究の目的に添わない微生物は、容赦なく捨て去られる。それは自然界へ帰してやるという意味ではない。そうした選択における敏感さと冷酷さが、微生物の名ジョッキーを作り出す。
 「細胞の生殖作用と、それが秘める将来への発展能力のうちにこそ生命の神秘がある」とは、パスツール先生のお言葉である。
 生命の神秘へのおそれを思い起させるところに、菌塚の意義があるのではあるまいか。
原田篤也    大阪大学産業科学研究所 教授
菌塚へよせる言葉

 地球上の主だった大部分の微生物が知りつくされたというのが微生物学者の常識となっているようであるが、枯草に埋れた土などを眺めていると、まだまだ無限の未知の微生物がひそんでいるものと思われてくる。そして渾沌とした微生物の群の中から苦労の末唯一個の特異な菌を純粋に分離した時の感激は一生忘れがたい思い出となるのである。大学に席のあるものは学生の能力をひきだし育てることを本務としているが、大自然の中から一個の菌を純粋分離し、その開発に努力していると、研究者白身、有能な菌を選択し、その能力をのばしているような気持になる。微生物は自然の中でひっそりと悠々自適の生活をしているとも、激しい生存競争にもまれて生活しているともいえるのであろうが、人間は微生物の生活を思いのままに制御しようとし、有害な微生物を排除し、有用な微生物に働き場所を与えると共に、それが不用になれば、殺滅してしまっている。動物や植物の世界に加えて、微小物の世界にも人間の慾のおよんでいる時、菌塚建立の意義は大きい。
橋本奨    大阪大学工学部環境工学科  教授
菌塚建立を祝う

 太古の地球上で、原子からDNA、高分子を経て、原始生物の嫌気性細菌が誕生したのは、今から約35〜38億年前といわれる。この時代には、地球大気中に酸素はなく、多量の太陽放射紫外線がふり注ぎ、火山の爆発、洪水、嵐が周期的に頻発していた。これまで彼等は、殺戮光線の紫外線に対する抵抗力や数多くの生活力を獲得しながら、自然陶汰に打ち勝って生き残り、無数の変種を生みながら進化し、地球表層と大気を変革させて今日に至っている。
 このようにみると、菌は吾々の祖先で、
  「一切の有情は皆もて、世々生々の父母兄弟なり 歎異抄」
であるといえる。
 現在、吾々人間は、この菌の多様な能力を種々様々の面に利用させていただいているが、省資源・省エネルギーの時代に入った昨今、その活用は、益々重要度を増している。終りにのぞみ、吾々の祖先である菌に対して、又、今回の笠坊さんの菩提心に対して、二拝二拍手一拝を棒げたい。
福井三郎    日本醗酵工学会会長
菌塚建立によせて

微生物は地球での人類の先住者であり、人類の出現以来の目に見えない友人として、時には害敵として、切っても切れない関係を持って来た。
 人類は、微生物の存在を確認して以来、微生物の持つ力を利用すべく着々と努めて来たが、ついに遺伝子工学の登場により微生物の性質を根本的に変えるまでに至った。
 このような画期的な時期に、これまでの長い間、人類に無限の恩恵を与えてくれた物一言わぬ微生物に感謝し、供養するための菌塚が建立されることは誠に意義が深い。
 現在、ともすれば自然科学の持つ両刃の剣的な性格が問題視されている。万物全ての中に霊の存在を認め、それにたいする謝恩の念を忘れない、謙虚でやさしい心を持つことにより、自然科学者は、はじめて真に人類のためになる成果を挙げることが出来るのであろう。
 多くの有用な菌を生み育くんだ吾が国の風土はまた、森羅万象に魂の存在を信じた優しい人々の住んで来たところである。菌塚の建立が微生物利用学の今後の道程に光明を与えることを祈ってやまない。
福本寿一郎    大阪市立大学名誉教授
微生物応用の可能性

 自然界における物質の循環は植物界、動物界、そして微生物界の三つの生物群によって円滑にいとなまれている。微生物は目に見えない微細なものであるために、それがはっきりし把握されたのがパスツールからであるとすれば、それは僅か一〇〇余年前からのことである。
 微生物の利用は有史前から酒類や種々の醸造物の製造にその本態が判らないままに広く行われてはいたが、真の意味での応用の開発が進められたのは今次大戦後に始まったとみることが出来る。
 ペニシリンを始めとするいろいろの抗生物質の開発、グルタミン酸を始めとする各種アミノ酸の醗酵生産、ジベレリンなどの生理活性物質の開発、更には単細胞蛋白質の製造などはこのことをよく物語るものであるが、更に微生物の酵素資源としての発展とその多様性を指摘したい。特に近時脚光を浴びつつある遺伝子の転換手法による所謂遺伝子工学の発展性はまことに予断を許さないものが期待される。
 然し筆者は冒頭に述べた自然界における物質循還における微生物の役割の重要性を再び指摘して、微生物の利用の新しい展開の可能性に大いなる期待をもつ者であることを述べたい。
 ささやかな一文を草して笠坊さんの企画に供する次第である。
昭和五十六年四月
船津勝      九州大学 名誉教授
菌塚の建立によせて

目に見えない微生物という小さい生命の人間に対する大きな働きは看過され勝ちであるが、無意識に吸っている空気のように、また神や仏の広大無辺の慈悲心のように、我々が意識するとしないにかかわらず、微小物は阻りない恩恵を人間に与え、人間とともに生き続けている。植物を育てる大地の地力はその中に住む微生物に負うものであり、人間を含めた動物の生存も徴生物抜きではあり得ない。人間の将来も、食物やエネルギーの生産にさらに大きな微生物の働きが期待される。
 私自身微生物には大変御世話になった。微生物が作った酵素の仕事をした時であるが、その当時酵素ばかり見ていて微生物のことまで考え及ばなかった。酵素や抗生物質やアミノ酸などを能率的に作らせるため、微生物はひどい変異を強いられ、人間のためとは言え、いわば生れもつかぬ片輪にされていた訳で、微生物にとっては何のことか判らない生き方を強いられていたことになる。大いなる犠牲と言わざるを得ない。
 菌塚建立の暁には美酒を一献菌塚に捧げて微生物の偉大な功績を称えるとともに、感謝の心を表わしたいものである。
福井俊郎    大阪大学産業科学研究所 教授
微生物のホスホラリーぜ

 生物の分類において、微生物は常に動物・植物の下におかれていて、あたかも最下等な生物のようである。自然界においても、微小物は動物・植物のように人の目にふれることも少なく、もっぱら縁の下の力持ちになっている。しかしながら、こと少なくとも、私どもが研究しているホスホリラーゼでは、微生物の位置はむしろ動物と植物の間にくるようだ。
 動物・植物・微生物、何れの起源のホスホリラーゼも当然ながら同じ化学反応を触媒するが、その活性調節性は起源によって大きく異なっている。ウサギ筋肉の不活性型ホスホリラーゼはAMPの結合、または酵素的なリン酸化によって活性化される。一方、ジヤガイモのホスホリラーゼは活性型のみで存在し、何れの活性化機構ももたない。それらに対して、酵母のホスホリラーゼは高活性なリン酸化型と低活性な脱リン酸化型で存在し、AMPによって最響されない。大腸菌のホスホリラーゼは活性型のみで存在し、AMPの結合によって数倍活性化される。
 ウサギ筋肉ホスホリラーゼの一次および高次構造は最近明らかになり、それに続いて、私どもはジヤガイモ・ホスホリラーゼの構造を、また、ドイツでは大腸菌ホスホリラーゼの構造を研究中で、これらのホスホリラーゼの構造を比較することによって、酵素の構造と調節性との関連を明らかにしようとしている。また、これらの研究を通して、ホスホリラーゼの調節性が分子レベルにおいてどのように進化してきたかを考えることも、興味ある問題であろう。
丸尾文治    東京大学名誉教授  日本大学教授
菌塚の建立に拍手

地球が生れて、そして何億年かして
小さな、小さな生命が
地球の上に、現われた、
それ以来、この小さな生き物は、常に
地球の上で、最も重要な役目を
つとめて来た
恐竜が天下を取ったと思われた時も
そして、人類が地球の主人となったと
思っている現在にあっても
微生物は、常に、目に見えぬ裏方として
地球の上で、一番大きな、一番大事な仕事をつづけて来ている
小さな小さな微生物が、この地球を
生命が生き続けて行ける環境に
保ちつづけるための、大きな、大事な仕事を
絶えることなく続けていろ
そしてまた、私達人類に、無限の喜びを
与え続けてくれている
この小さな生命の
大きな、大事な仕事をた⊥える
菌塚の建立に
心からの拍手を棒げる。
松原央   大阪大学理学部 教授
菌塚御建立に寄せて

この度、微生物の供養碑を御建立に成る由承り、改めてわれわれがいかに多くの微生物の恩恵を蒙っているかという実感に襲われた。日頃は万物の霊長として、彼らに感謝することを忘れ、いかに利用するかのみに心奪われていることにふと気付いた。意識的に彼らを利用し、用が済めぱ捨て去ることを学んだのが学部最終年の卒研のときで、以来今に至る三十年近く、一度も彼らの供養をすることに心至さなかったのは、誠に軽薄の感がある。幸いこの度の碑の建立を機に、微生物、とくに私のために犠牲になったバチルス、クロロビウム、クロメシウム、ロドスピリルム、ハロバクテリウム、スピルリナ、アファノテセ、シュドモナス、ミコバクテリウムのために心からの冥福を祈りたいと思う。
山田秀明   京都大学農学部醗酵生理学研究室 教授
菌塚に思う

 以前に日本農芸化学会から寄稿を依頼されたときに、易経の「天行健、君子以自疆不息」という文章について感想を記したことがある。大意は「大自然は常に正しい因果関係のもとに健やかに運行している。人間も自然の一員であり、志あるものは大自然とともにあって物事に努めなさい」といったことである。古代中国の自然観であり、人生観である。
 われわれの学問領域は応用微生物学であり、それは一口にいって微生物の潜在的能力を見いだし、それを応用して人類杜会に貢献して行くことである。しかしこの学問を進めてゆく過程で、ややもすれぱ自らの利害や得失にとらわれて、微生物を研究の道具としてのみ考えがちであり、われわれが微生物、そして他の動物や植物と同じように大自然の中の存在であり、ともに大自然の円滑な循環の流れをなしていることを忘れてしまうのである。
 蔓殊院の一隅に、篤志家の手によって微生物の碑が建立されることを聞いたとき、上記のようなことと考え合わせて言い知れぬ安堵に浸ったのは、微生物応用の研究者としての因果とでもいうべきであろう。

山本武彦      大阪市立大学 理学部 教授
菌塚を建立して菌霊を祀る


 これまで宗教は勿論、何人も考えもしなかった微生物に対する深遠な配慮と敬虔な態度の表明として菌塚は永く記念されるでしょう。
 始原生物に最も近い微生物はその生物学的情報を既に後進生物へ提供し、自らは進化の虚数的位置に留ったが、地球上に於ける元素循環の大役をにない動植物の生存を支えている。特に人類は微生物を積極的に利用して来た。微生物による人体の侵害を防ぐためにも微生物を利用している。最近では人類にしかないものを微生物に情報をいれて生産しようとしており、微生物より享受する諸々の恩恵を我々人類は謙虚に反省してしかるべきでしょう。合掌九拝
山中聰裕    日本酵素協会 幹事
菌塚の建立に寄せて

 この宇宙には幾百萬種類に及ぶ生物が生存し、それがお互に善玉と呼ばれ、悪玉と呼ばれてあざなえる縄の如く共存しつつ、輪廻となって永遠に生きつがれて生命の神秘が繰り返されつつ新たな再生へと進んでいるように思われます。特に私達が携わっている酵素工業は最近の遺伝子工業も包含しての素晴らしい未来産業としての栄光を運命づけられて料ります。それだけに又微生物の測り知れない犠牲と恩恵によって未来が開発される起源となって居ります。
 此の微生物の再生への死に心を寄せられ、そこはかと無き側隠の情を抱かれ切々たる愛情の誠を捧げられる笠坊さんの不滅の人柄が偲ばれると同時に心からの敬意と賛同を込めて失礼をかえりみず己に鞭打って筆を取りました。洵に慶賀の至りです。
箕浦久兵衛  広島大学  教授
縁の下の力持ち

 戦後、医学の進歩と共に抗生物質の開発による吾が国民の平均寿命伸長への貢献は華かな一面、人類は有史以前より菌類の実体も知らず、その活性を多方面で経験的に利用し乍ら、数万に及ぶ仲間のごく一部に好ましからぬものがあって必要以上に顰蹙視されて来たが、近年の経済の急成長に伴う環境汚染の結果から物質輪廻の上で、清掃者としての裏方的役割からその存在価値が認められるようになったことは喜ぱしい。他カ、その活性開発の華やかさに比べると、未開発の菌種が多いにかかわらず、それらを発掘して学問的位置を確立する地味な研究面が軽視されているのは、近視眼的国民性のせいか抗生物質開発当時とほとんど変っていない感がある。自国で分離した菌株について特異的活性を開発し乍ら、学門体系の確立に必要な分類・同定を他国の機関に頼らざるを得ない可能性の大きい現況は経済大国を自認する吾が国として遺憾である。理由は菌類全般をカバーする専門家を擁する公的機関が皆無であることによる。
 またこれら蒐集株の保存には凍結乾燥等種々の方法が開発されているものの、すべての株に一様に適用できないので、それらの保管条件を模索しつつある技術者の蔭の努力に対し、その経験者の一人として頭の下る思いがする。
 これらの問題を解決すべく日本菌学会でも国立の菌類研究機関を設立すべく学術会議に提案しているが、専門分野の相違からか必要性の理解には、なお期間を要すると思う。せめてオランダのCBS程度の機関が設けられ、保管・同定・分譲等菌類に関する諸般の要求に応じ得る態勢の確立を期待する。
 研究目的とは云え四十余年に亘って用済みの菌を殺して来た筆者にとり、似た気持による笠坊氏の企画は、啓蒙の意味もかねて極めて有意義と信じ、日頃の思いの一端を認めた。(五六年二月)
村尾沢男   大阪府立大学 農学部 教授
「菌塚」の建立によせて

 考えてみれば私も、もう四十年近く微生物のお世話になっている。微生物利用学という教室を担当させてもらっているので、「何か、人類に役立つものを作る微生物は居ないか…」ただそれだけを目的に微生物と付き合って来た次第で、人によっては「何と馬鹿なことを」と考えられる方も多いと思うが、目的にかなった微生物が見つかった時の喜びは言葉に尽せない。誰だったか野球の名人が「好調なときは、バッターボックスに入っても球が止まって見える」とか言っていたのを聞いたことがあるが、微生物もそのようで、微生物が自分の方に近づいて来るように思うことがある。
 むかし、一年も二年もかかって、やっと取れた微生物が、今になって試してみると、何処からでも何時でも容易に取れることがある。何故、あの時あんなに苦労したんだろう-…。何だか、微生物に魂があって私の心を理解してくれたように思われてならない。
 このように考えてくると…犠牲となった微生物の霊に感謝の誠を捧げ「菌塚」建立を発願したという…願主のお言葉は誠に当を得たものであり、その建立を心からお祝い申し上げる次弟である。
麥林楢太郎    神戸大学 名誉教授
私の思いと菌塚

古い話で誠に恐縮であるが、私と微生物との出合いは、約五十年前、京都大学の二年生の時に、恩師片桐英郎先生の応用菌学の講義実験を受講した時にさかのぼる。徴小な生命の存在と、その微妙な働きに驚異を覚え、ぴそかに生涯の仕事として取りあげる決心をした。それからの半世紀の間に展開されてきたこの学間分野の目覚しい発展、その成果の活用によって、我々の日常生活は多大な恩恵をうけていることは周知の事実である。
私が五十五歳もすぎた春のある日、研究室で仕事をしていた時、実然心に浮んだことは、この徴小な生命の尊厳と、その営みからもたらされる数々の恩恵について、自分は正しい認識をもってきたか。微生物を扱う時にこの認識にふさわしい正しい対処をしてきたか。研究成果をあげることのみに熱中して、微生物に対じて無理な犠牲を強いたことはなかったか。との思いであった。それ以来、自らはこの反省を常に心に留め、また共同研究者の方々とは、折にふれてこのことを話しあった。近年、微生物を対象として遺伝子操作の技法が導入され、活発な研究が行われているが、それにつけても私の思いは、一段と深まって行く。
この時にあたり、特篤をもって洛北の霊地に菌塚建立の発願がなされたことを耳にし、誠に宜なるかなと喜ぴにたえない。
幸いにも菌塚まで一時間程の地に住居していること故、析々に訪れて発願の御趣旨を噛締めたいと願っている。
職場に働く一技師の声
菌塚に合掌

 微生物工業にたずさわり、菌の培養に従事するわれわれは、10の17乗個−億・兆を超え実に十京に当る-これだけ多数の生命を一回の培養で誕生させている。生まれたいのちは寿命を全うする基本的な権利を有するのかも知れないが、われわれの都合で途中で死んでもらったり、われわれに不手際があって途中で死なせてしまったり、もともと自然に逆らって多数生ませたものであるから、それらを寿命の許す限り生きながらえさせたのち空中に放散するというわけにも行かず、結局は全部のいのちを奪うことになる。考えてみれば業の深い職種ではある。
 このたび、京の里に菌塚が建立されることになった。菌に対するわれわれのお詫びと感謝の念を表することにより、だまって死んで行くこれらの魂を、いささかなりとも供養できるものならば、ありがたいことだと思っている。
本江元吉  九州大学 名誉教授 熊本工業大学応用微生物工学科 教
菌塚に合掌

たまきはるいのちを生きてちさきもの
いとなみてあるおおいなるわざ

天が下いきとし生けるものはみな
等しきものを人はおごりて

いく京のいのちを殺しつくりたる
ものをうばえるごうの哀しき

菌塚のこんりゆうここになしたもう
君がみわざはあやにとうとし

菌塚をおろがむかなた自然の理
はろかな光りみほとけのかげ

祈りこそ努力のあかし合掌は
照り返しうむ望みへのみち

いまはこれねぶつとなえむ手をあわせ
山川草木悉皆成仏
古賀正三    前 東京大学応用微生物研究所所長
微生物に感謝

 私達が生きてゆくために他の生物がいのちを失うことは心哀しいさだめです。飼犬の墓参のおり、境内にある実験動物の慰霊碑に手をあわせ、幼い者の相手を務めてその使命を終ったものをまつる人形塚の前に立つたびに、もっと小さな生物のことが気になっておりました。このたび菌塚建立のお話、大変にうれしく有難いことです。私共につくしてくれた無数の菌族の魂を前にして、同僚と共に深く頭をたれ、つつしんで感謝の意を表したいと思います。 合 掌
笠坊 武夫
菌塚建立を終えて
微生物が自然界において演じる重要な役割については周知のとおりでありますが、これを人為的に精選育種して有用な化学変化を行なわせる工業、すなわち微生物工業は現代の花形産業の一つであり、人類に多大の利益をもたらしております。更に又将来直面する食糧不足およぴエネルギー間題の解決にもこの「ちいさきいのち」の刀が必須になることは充分予見されるところではないでしょうか。しかしながらその陰で無惨に犠牲となる微生物の生体数はけだし天文学的のものであり、これにひそかな側隠の情を抱くものがいたとしても敢えて奇異とすべきではないと恩います。
私は酵素工業に携わること五十余年、省みて微生物の恩恵の下に一生を過ごして来たことに思いを致し、いさゝか感謝の誠を捧げたく「菌塚」建立を発願した次第でございます。爾来数年各方面からの懇ろなアドバイスを恭くし修学院離宮に近接する京都屈指の名刹曼殊院門跡の霊地にこのたぴ浙く建立を終え除幕の運ぴとなりました。
「菌塚」の題字は坂口謹一郎先生の滋味溢るゝ玉筆をいただき、裏面の碑文は曼殊院門跡第四十世圓道太僧正に仰ぎました。
幸いこの拳が斯業に携わる一人ひとりヘと広く伝わり共感を呼び、そしてそれそれが菌の霊に恥じない立派な仕事を成じ遂げられるならぱ願主の本懐これに過ぐるものはございません。
合掌
昭和五十六年五月十六日


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